信長の野望 大志 プレイレポート 第一弾
第4章 厳島の戦いから大内家滅亡へ

(物語の始まり、第1章及び第0章(プロローグ)はこちらから)


陶晴賢によるクーデターで終わった第3章、毛利家は危機に陥っている…、はず、史実では。

ちょっと寄り道して、史実のお話を。い、いや、第3章が短かったからその穴埋めとかじゃ…(笑)。

史実では、跡継ぎの大内義長は大友家から迎えた養子です。ゲームのイベントでは語られていませんが(列伝にはもちろん記載されていますが)。元々嫡男はいたのですが、クーデターのときに晴賢が一緒に葬ってしまったのですね。
更に言えば、この義長、一度大内家に養子に来ていたのに、実子が生まれたので一度大友家に戻っています。そんな経緯があったので大友家当主である兄の大友義鎮は「また行かなくても」と引き止めたらしい。なのに本人は「望まれたので」と、陶晴賢の傀儡であることを承知で引き受けたみたいです。

また、大内義長と陶晴賢の名前についても。
義長は元々、大友晴英と名乗っていましたが、これは12代将軍義晴から晴の字を貰ってのこと。
また、晴賢は当初隆房と名乗っていましたが、クーデター後に義長を奉じたさいにこれを義長(当時の晴英)から晴の字を貰い晴賢と改名。
更にその後義長(晴英)は13代将軍義輝(当時は義藤と名乗っていた)から一字を賜り、ようやく義長となりました。


ちなみに、ゲームではクーデターの直後に宮尾に兵を進めていますし、一般的にはそのイメージがありますが、史実では陶晴賢のクーデターから厳島の戦いは3年以上経っています。


さて、本題に戻りましょう。





このイベントの中で元就は隆元の成長ぶりを見て、「いつ迎えが来ても…」とか言い出す。完全なフラグだから、止めてくれ(笑)。いや、実際には逆フラグなのか。
ちょうど尼子戦のために兵糧を揃えているところだったので、そのまま使おう。





で、これはどうすればいいの?
史実ではたしか、毛利軍が宮尾(厳島)に城を築き、それに対して攻撃を仕掛けた陶軍を夜襲で叩いたはずだけど、城作らなくていいのかな。
言行録では「村上軍と共に宮尾で大内軍を破る」となってるので、元就、三兄弟、村上で宮尾に布陣してみる(村上水軍は自動的に援軍状態になっている)。
本格的に戦いになるかもしれないので、ばっちり準備をして…、






間に合わない(笑)!
目標への到着日数と決戦開始が同じ22日になってるということは、「着いた途端に決戦になる=先に相手が布陣している」ということなので。
原因は隆元。湯築城に行かせていたために、合流地点の佐東銀山城まで17日も掛かってしまう。
あれ、でも能島城の村上家も17日掛かるから一緒か…?
どっちにしろ陶よりも先に宮尾に到着するのは無理みたいです。一応史実通りってことか。
そして、画面見れば分かるとおり、15000の戦場にお互い19000用意しているという。全員布陣できませんね。






あれ、間に合ってる。なんでだろう。結局陶軍が来たのは翌月でした。
会敵するとムービー発動!詳細はぜひ実際にやってみてご覧ください。
ムービーがあったから、このまま勝っておしまいかな、と思ったら、




ちゃんと戦うみたいです…。自信ない…。
ところが、




あっさり勝利しました。どうやら元々士気が低いようで、真正面からぶつかっても簡単に勝てるようです。
勝ったあと、今度は言行録「防長経略」が開始。大内家を滅ぼすって九州に結構広がってるんだけど…。尼子に関わってる暇は無さそうです。
順調に大内領を削り始めて半年。ふと気付いた。


これ、講和できない!?


完全に滅亡させないといけないようです。
いや、別に九州に追い落とせばそれで良かったんだけどなあ…。

そして戦い続けること、なんと1年半。





長い道のりだった…。
結局肥前まで追い掛けちゃったし。
やれやれ、至るところで一揆が発生してるのでまた内政を…、の前にやるべきことがこれ。






召し抱えた家臣を旧領に戻すこと。
つまり、旧大内家臣は旧大内領の城へ配分する、ってことですね。鍋島直茂のような優秀な家臣は手元に置きますが、それ以外は旧領に戻す。
でも、これがまた時間が掛かるんですよ(笑)。大名や有名な家臣はすぐに分かるけど、それ以外は列伝で調べて移動させるんです。
効率の悪いことだとは知りつつ、でもどうしても止められない癖です。
賛同してくれる人いるのかな…?

ということでこれを小一時間続けてしまいました(笑)。


第5章へ続く

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