さて、最上家を配下に収め、更に領土を広げた蠣崎家。
次なる目標は…。
為信「さて、次の目標はどうされますか」
「為信の考えは?」
為信「(こいつ、悩んでるな…)」
為信「厳しくはありますが…、最早、政宗殿を討つほかはないかと…」
「やはり、そうであろうなあ…」
またもや詰みそうな勢い…(笑)。
義光「殿…、政宗殿が羽前を狙っているとのこと…」
「ううむ…、先に相馬でも狙おうと思ったのだが…」
と思っていると、急に進展が、
1592年9月、
義光「殿!政宗殿が真田家に宣戦布告いたしました!いずれにご加勢なさいますか!?」
「ふっ…、言うまでもない」
義光「し、しかし…、それでは政宗殿を敵に…」
検証のときに少し話したとおり、義光は伊達政宗とは遠戚にあたります。
「昌幸殿とは同盟関係にある。それに、羽前を狙ってきていたのはどこの誰だ?」
義光「は…、ははっ…」
ということで、蠣崎家は真田家に合力することに。ちなみに、伊達家には臣従している大崎家しか味方せず、真田家には上杉家も加勢することに。北条家は武田家との戦に忙しいのか、特に関係せず。
為信「政宗殿は50000近い大軍を米沢に集めて、会津に攻め入るようです」
「よし、すぐに我らも政宗に宣戦を布告せよ!兵を集めるのだ!」
なんで、真田は味方してくれないのか(笑)!
為信「殿!伊達は横手城で迎撃する模様です!作戦の下知を!」
「うむ、津軽の西陸奥部隊は花巻城へ、南部の東陸奥部隊は高水寺城を狙え。安東の羽後部隊は横手城に向かい、野戦で敵を撃破することを命ずる。為信は野戦が予想される羽後部隊の総大将として直接指揮を取れ!」
ちなみに津軽為信はこのとき伊達領と接する最前線の雫石御所の城主です。陸中にある城なので、本来ならば南部部隊に所属するはずだったのですが、横手城に迎撃に出るとの予想があったので、それに合わせて隣の安東部隊の指揮官にしました。
「義光に陣触れを出せ!利府城を奇襲せよ!」
なるべくたくさんの部隊を出したほうが、敵も迷うのです。
そして、兵糧が勿体ないので全て強攻。まあ兵はすぐに回復するから…。
為信「殿、伊達の迎撃に出てきた矢田野隊ですが、瞑想、じゃなかった、迷走している模様。こちらが予想以上の速さで城を落としているので、迎撃が間に合っていないようです」
「よし、では、寺池城手前の佐沼という地で決戦を挑め。我らが先に到着し、戦いを有利に進めるのだ」
援軍が到着する前にどんどん城を落としてしまったので、次の目標を探して迷走してしまったようです(笑)。
ちなみに、このあと、結局佐沼での決戦はなく、最後の米沢城を防衛するため、山の中を潰走していきました。
義光「桑折西山にて政宗隊と遭遇いたしました!」
義光「お味方の勝利です!」
兵は多かったものの、流石は伊達、劣勢に立たされてました。
負けだろうと思っていたのですが、政宗隊がうっかり全滅したため、逆転勝利。
1593年1月、
為信「米沢城を落としました!」
政宗は捕えられ、引き連れられてきた。
「政宗殿、お久しゅう」
政宗「白々しい!さっさと斬れ!」
「滅相もない。政宗殿にはこれからも奥州、ひいては日の本のため、働いてもらわねば」
政宗「くっ…、(大崎)義隆は?」
「ついでに滅ぼしといた」
大崎家も帰りの手間賃がてら滅ぼしました。
そして、当主の季広は皆を集めます。
「さて、戦後処理を行わねば」
為信「はい、恭順いたしました、伊達家、大崎家のほか、斯波家、蘆名家、葛西家、小野寺家も家を再興するのが良いかと。ただ、岩代の国は未だ真田領、蘆名家家臣団には最も近い米沢城に入っていただくことにいたしましょう」
「うむ、他に何か意見はあるか?」
(稗貫)広忠「殿!怖れながら…」
「ん?誰だ?」
為信「稗貫…、広忠殿にござりますな」
広忠「はっ、この機会にぜひ我が稗貫家のこともお考えくださりませ」
「ん?しかし、おぬし和賀家の者であろう…」
和賀家と稗貫家は少々複雑です。広忠は和賀家の人間、兄でありながら稗貫家を継いでいます。和賀家は弟の義忠が継ぎました。
この辺の事情はよく分かりませんが、稗貫家のほうが家として格が上だったのでしょう。稗貫家は代々周辺から養子を貰っているようですが、斯波家からも入ってるんですよね。
広忠「稗貫家は存続の危機にあります。ぜひお考えくださりませ」
「家臣はおるのか」
広忠「お、弟の義忠が…」
「二人だけではないか」
為信「しかし、長く続く家ですし、一考の余地はあるかと。広忠殿の希望する花巻城も空いております」
「うむ、ではとりあえず花巻城に入ってもらおうか」
広忠「良かった…」
余談ながら、花巻城という名前はもう少し後のこと。
元々は鳥谷ヶ崎(とやがさき)城と呼ばれていて、稗貫家が追放され、南部領となったさいに花巻城に改められました。
(須田)盛秀「殿、よろしゅうございますか」
「須田盛秀か、どうした?」
盛秀「ぜひ、二階堂家のこともお考えを…」
「そうか、おぬしは二階堂家の重鎮であったな」
盛秀「はっ」
「しかし、当主がおらんのではな…」
為信「とりあえず旧臣には蘆名家同様、旧領に近い桑折西山城を任せては如何でしょうか」
「そうだな、盛秀、おぬしに桑折西山城を任せる」
盛秀「はっ!」
(伊達)阿南「しばしお待ちを!」
「阿南殿か、如何した?」
阿南「二階堂家が桑折西山城にて再興するならば、ぜひわたくしも」
「そうであったな。阿南殿の好きになさるがよろしい」
伊達阿南は、ゲームでは「伊達阿南」という名前ですが、伊達家から二階堂家に嫁ぎました。政宗とは叔母・甥の関係にあたり、子である二階堂行親は政宗とは従兄弟ということになります。
実は、ゲーム中の全体を検索しても二階堂の人間を見つけられませんでした(どこかで斬首されてしまった?)。阿南は政宗と仲が悪かったこともあり、こういう展開にしました。
ちなみに、ゲームの画像は非常に若いですが、このとき既に53歳でした…(笑)。
次回へ続く。
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