信長の野望 大志 プレイレポート 第二弾 第4章 戦国時代のビッグネーム次々登場!

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さて、結局色々と調べましたが、兵糧が足りないというごくごく単純な理由で最上攻めは延期(笑)。

ちなみにこの頃の全国の情報はこちら。





やっぱ羽柴家強いですね。本能寺の変でもっと混沌とすると思ったのですが…。
既に勢力は18しかありません。蠣崎家は国力9位。伊達家や最上家も何故か蠣崎家より下です。国力ってどうやって決まってるんですかね。



さて、1590年7月、




為信「殿、(最上)義光への宣戦布告、完了いたしました。やはり政宗殿は最上側に付くようです。(上杉)景勝殿がお味方してくださると表明いたしました」
「よし、景勝殿に援軍を依頼してくるよう。西から上杉軍が攻め込み、挟み撃ちにするのだ!」
為信「しかし、兵糧の不安が…」
「再来月には年貢が入る。それに、蝦夷から進軍するよりも上杉軍に助けてもらったほうが近く、結果として兵糧が節約できる」
為信「単に蝦夷から来るのが面倒なだけじゃ…」





為信「殿!講和が成立したとのこと、まことにございますか!?」
「うむ、真室城も手に入ったし、、兵糧も無い。仕方なかろう。機を見て再び上杉の援軍を得て攻撃すればよい」

ちなみに援軍は野戦を行うさいに自分で操作できませんでした。

直後、





為信「殿、政宗殿が真田家へ宣戦を布告いたしました。会津の黒川城を狙うようです」
「うむ、政宗殿の味方をすると伝えよ」
為信「し、しかし、(上杉)景勝殿は真田の味方をすると…。景勝殿は真田へかなり援軍を送るでしょう」
「止むを得ん、我々と直接戦いになるわけではないからな。それに伊達とぶつかってくれるのは必ずしも悪いことではない」





為信「真田昌幸と伊達家の片倉殿が戦になりました」
為信「真田軍が勝ったようです」

ビッグネーム同士の対決で、ちょっと興味がありました。ほぼ同数の軍がぶつかったようですが、昌幸・幸村親子などの活躍があったようです。


そして、蠣崎家は再び最上家と戦を始めた。
為信「殿、今回の作戦について、ご指示くださりませ」
「うむ、伊達家から相応の援軍が来るであろう。羽後・西陸奥軍と東陸奥軍に分け、敵をうまく陽動しながら、野戦を避けるべきだ」
為信「はっ」
「羽後・西陸奥軍は少し迂回して山形城をまず狙うべきだ」


1591年12月、





為信「殿、全ての城を陥落させました。義光も捕えております」





(最上)義光「……」
「義光殿、そのような顔をするでない」
義光「……」
「義光殿には山形城に戻っていただき、これまで通り羽前の国をお任せしたい」
義光「は……」
「義光殿の手腕には我々も注目しておる。吉広、山形城に城主として赴き、義光殿の手腕を学ぶとよい」
義光「(そういうことか…)」

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